果たして私は死んでしまったらどうなるのだろう? そう思いませんか?
ではこの本を読んでいる私、今、考えている私、私も肉体と一緒に いなくなってしまうのでしょうか。そもそも、それを考えている
「私」とはなんでしょうか。
いろいろある意識の要素を統合して働かせることができるので、私は私を保って行動できるのです。この意識全体の核のようなものが「自我」であるとユングは考えました。
普通の物体は、その内部と外部を分ける境界を持っていますが、意識は境界をもっていないのです。ですから自我という強力な中心を作ることで、意識がバラバラにならないようにしているのです。しかし強固に思える自我も、自我以外の部分から影響を受けることがあります。
私も体験を通して、「意識の統制が及ぶ自我」と「意識が及ばない無意識」の部分があることを知っていました。ですので私は、心のなかには、「意識できる自我」と「自我の外にある無意識」の部分があることが非常によく理解できました。
ユングは「自我」に加えて、「無意識」の部分も含めて「私の心」であるとしました。
意識(自我)と無意識を合わせたものが自己(self)です。
ユングは無意識にもさらに深い無意識があって、浅い部分を「個人的無意識」、深い部分を「普遍的無意識」と呼んでいます。
私は考えました。心の中心を「個人的無意識」のもっと深く、
つまり「普遍的無意識」まで移動させるとどうなるだろうということです。そうすれば、個人という枠組みを超えてしまうのではないかと思ったのです。
量子「人間」学 朗読
科学の最前線である量子力学の世界では、私たちが普段当たり前と思っていることが、まったく違った不思議な姿で現れることがあります。その量子力学の視点から人間の本質や生命の価値について考えた本書【量子「人間」学】の一部を朗読しました。