私たちの企業のアイデアは、私自身の実家のお墓を高野山で永代供養し、
お仏壇の代わりに 自宅に「追慕の空間」を整えて、
日々ご先祖様に尊敬と感謝を捧げる習慣から生まれました。
-背景とアイデアの誕生-
私の実家では、父が亡くなり、長男の嫁である母が先祖累代のお墓を守り、
お彼岸や周忌法要の際に集まる親戚の接待などをしていました。
その母が亡くなった際、父の弟である3人の叔父達から、
「先祖の事はお前に任せる。」と実家のご先祖様の供養をするよう頼まれました。
「え? 私じゃないでしょ⁉ 次男(2番目の叔父)の息子に任せて欲しい!」
というのがその時の正直な気持ちでした。
私は既に嫁いでおり、苗字も変わっておりましたので、
実家の御先祖様の墓に責任を持つということに、違和感もありました。
加えて実家の福岡からは遠い大阪に住んでおりますので、両親と弟が他界し、大阪から福岡へ度々お墓参りに行くには、距離的にも心情的にも遠いと感じていました。
そんな折、高野山女人高野派 圓和院様から永代供養をお勧め頂きました。
弟が亡くなった後、「弟の供養の為に、写経をしたい。」という母の願いに応えるべく、知人を通してご紹介していただいた方が圓和院 乾管長様でした。
父と母の葬儀を取り行ってくださった乾管長様に、祖母・両親・弟と先祖累代の
永代供養をして頂き、地元のお寺を離檀、いわゆる〝墓じまい″をすることに致しました。
幼い頃、祖母から「亡くなった人は、自分の事を思い出してもらえるだけで嬉しいとよ。」
と教えられ、私は毎日、学校から帰ったら直ぐにお仏壇の前に行ってランドセルを置き、お線香をたて、
「ご先祖様、ただいま帰って参りました」と拝んでいました。
そんな習慣を持っていましたので、永代供養をした後も、お墓参りの時だけでなく、
いつでも身近に祖母、両親と弟、そしてご先祖様を感じていたいと思いました。
この「想い」を具体化するきっかけとなったのは、学生時代の友人である、
田中耕太郎博士の著書『量子「人間」学』を読んだことです。
この書籍に衝撃と感銘を受け、先祖を身近な場所で敬うという考えが一層強まりました。
そして「過去・現在・未来」がひとつであり、私たちのDNAの中には身体の特徴だけでなく、
先祖の感情や思考方式も遺伝情報として記録されていて、
先祖を意識するだけで先祖の「想いの世界」へ入って行ける。
「先祖は私の中に、私は未来の後孫と共にある」ことを理解しました。
そうであるなら、もっと身近に先祖を追慕する空間があって、
生活に密着した形で想いを尽くせるのではと感じてきました。
それで、お仏壇のような形がなくとも、インテリアとしても美しく、
供養の意味も持つオブジェのようであれば、生活空間でも違和感がないのでは?
とインスピレーションを受けたのです。
この内容を、永代供養をしていただいた圓和院さんに御相談したところ、
「弘法大師空海は、『発心すれば即ち至る』と平安の地への道しるべを残されたのです。
大師との縁によって結ばれた我々は、教えにそって生きて行く使命があるのです。
何故なら、私の救いは、私のご先祖の救いに繋がりやがては
子々孫々の繁栄に直結するからです。
今を生きる我々は、ご先祖と子孫とをつなぐ仲介者です。
また、私の生き様は、子々孫々のDNAに受け継がれてゆきます。
希望ある未来にです。
人間が量子の世界を通して圓になってひとつにつながるのですね。
想い(omoi)の世界へ 過去、現在、そして未来へ 人間量子圓です。
とても良い事業を思い立たれましたね。」とお力添えを頂きました。
宗派に固執することなく身近に先祖を想うomoiを大切にできる『追慕の空間』の
アイデアを更に具体化する原動力となり、会社を設立する運びとなりました。